ニイハオ・再見・テリマカシ(ありがとう)
〜東南アジアの国々を巡って、折に触れて過ごした異文化の世界〜
山本美都子
★執筆した
内容
夫の海外赴任に伴い、東南アジアの国々で過した経験を綴った。
台湾 ‘74−76(S49−50)子ども2人(小学生)同行(約2年間)
初めての海外は、学校の関係で親子3人台北で、夫は土帰月来、工場のある台中で過した。子ども中心の生活だった。
・歴史的な出来事:75/4月 蒋介石永眠
マレーシア ‘90−92(夫婦のみ)(約2年間)
約16年後、一日5回(夜明けから夜まで)コーランが流れる 常夏(赤道に近い熱帯地方)の国で。 季節の移ろいがないと、生活にメリハリが無くなる感じだった。
シンガポールから始まり、マレーシアのリゾート地、島々を巡り、タイ国境の町コタバルで見た、日本軍上陸地点の砂に埋もれたトーチカ、記憶に新しい津波で流されたプーケット、東マレーシアのクチン、インドネシアのジャカルタ、バリ、そしてスマトラ島のメダンからトバ湖へ。主に旅行記である。
・出来事:91/1/17 イラン・イラク戦争
香港、中国 ‘93−03 夫のオフィスで、事務・会計
1年半後、夫は別会社へ転職 香港オフィス、工場中国東莞市 香港IDカード取得
・ 出来事:97年香港返還 99/1/17
・ 阪神淡路大震災(長女被災尼崎市在住、仕事場は神戸)
夫は定年になり、リタイア。 帰国を取止めて香港で会社設立。
その後広州の日本企業に現地採用される。上海地方へ移動。
03年7月 ケガで入院―現地病院での看病雑記
★執筆した感想
ほとんどの時を普通の平凡な主婦で過してきた私が、何を書こうかと決めてないまま講座に加わり、そうだ、アジアの国で過した経験を書いてみようと思い立ったのであった。最初から構想はできていたのに、遅々として進まないまま、やっと本気で取組むのは大分後になったが、古い写真を見ながら忘れていたことが次々と浮かんできて、ライター方のアドバイスや励ましを受けながら、人間の記憶の確かさを実感しながら(覚えていないこともあるが)完成を楽しみにしている。ただの作文ではないこと。そして、その時々のメモなどの必要さを将来このような機会に生かせるようにお勧めしたい。
ちゃんとしたものを残してこなかった者の反省を込めて。
★ 今後どのようにしていきたいですか
今度の講座で得たものは、それぞれに違うと思いますが、これからも多くの方に参加していただけるように、続けて貰いたいと思っています。
また、なにか新しいことにトライしたいと思います。
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